激しくメモ

ネットでくらいは自然体。どうしても繕いがちなので自分として生きる訓練がてら書いていますが95割どうでもいい話です いつまでも二次元のイケメンを追いかけるオタクな一児母

愛の感受性

「友人関係」とは長方形で表せるもので、その横(期間)と縦(深さ)から導かれる面積が親密度だったりするんじゃないかなあ、とふと浮かんだのですが、おそらくその面積が最大であると思われる彼女、つまり親友の結婚式に家族三人揃って参列してきました。


好きな人の結婚式に呼ばれるというだけでも幸せなのに、しかも私は家族で参加できているとかもう。
その家族が増えるまえ、私の結婚式に彼女が来てくれてたことを思い出して、その前に一緒に遊んだとか初めて会ったとかまで思い出して胸がからっぽになるまで泣ける。

親子、恋人、夫婦、友達、他人同士からも愛を感じるよい式でした。
みんなが愛に包まれてた。
いたるところに愛があった。

まあ ぼろぼろ泣きましたな……
バージンロードでも新婦の入場でもドアが開くでもなくそろそろドアが開きそうかも、で泣けてくる始末
感情が暴走しててなんで泣いてるかがわからなかったよ!!
今ごろ「お嫁さんに行ってさみしい」でもあるまい…
私の感情が未熟なのか知識がなくてその感情を表せないのか!!!くやしい!!
 
いま冷静になって思い返すと、結婚式に参列しているときの精神は普段生きている日常と違うところに接続しているようにも思える。
なんか不思議な感覚がしてる

そしてその結婚式で愛に対する感受性が上がったのか、瑣末なことに愛を感じて泣きそうになっているなど。
新幹線で博多に着いて改札に向かう時の「よく来たね、待ってたよ」的な横断幕とか特に震えた。
(我ながら泣きポイントが謎すぎる)

でも愛ってすごい気がしてきたので多分愛はすごい。
愛ってよくわからないものだとしか思ってなかったけど、最近わかりかけてきているような感じ。突き詰めたい。

愛が、とか、幸せが、とか語り始めるとどうにも「変な人」「危ない人」なような気がしてくるけれども、愛は確かに存在するし、自分自身が見ようと思えばどこにでもあふれているんだなあ、と思った1日でした。
それを見失わない自分でありたい。